放水銃の向こう側
フィリピンのコーストガードが撮影した映像が、2023年以降繰り返し世界に流れた。南シナ海のスカボロー礁や第二トーマス礁付近で、中国の海警局の巨大な船が、食料や資材を運ぼうとするフィリピンの小型船に放水銃を発射している映像だ。
一方は世界最大の沿岸警備隊を持つ大国、もう一方は補給任務の小型船。これが東南アジアの「戦場」の日常だ。
ここで起きていることは単純ではない。中国は軍艦ではなく海警局の船を使うことで「これは軍事行動ではない」という建前を維持している。フィリピンは米比相互防衛条約に基づく米国の支援を念頭に置きながらも、エスカレーションを慎重に管理している。どちらも「全面戦争」は望んでいないが、どちらも譲れない。
世界の四分の一が通る海峡
マラッカ海峡の意味を理解するには、一つの数字で十分だ。世界の全海上貿易量の約25%が、この海峡を通過する。日本が輸入する石油の80%以上もここを経由する。
幅2.8キロメートルという最狭部を持つこの海峡を制する者は、アジアの経済の首根っこを握る。そしてこの海峡は現在、マレーシア、シンガポール、インドネシアという国々が管理しており、米国の海軍プレゼンスが「自由な航行」を担保している。
中国がこの現状を受け入れられない理由はすでに述べた(「マラッカ・ジレンマ」)。だからこそ中国は、マラッカ海峡を迂回する陸上パイプライン(ミャンマー、パキスタン経由)への投資を続けている。南シナ海の人工島建設は、この回避ルートができるまでの「保険」でもある。
九段線と国際法の衝突
2016年、オランダのハーグにある仲裁裁判所は、中国の「九段線」による南シナ海の領有権主張に「国際法的根拠がない」という裁定を下した。
中国の反応は「紙切れだ」と一蹴することだった。
この一件は、国際法という「ルールに基づく国際秩序」が、強大な力の前では機能しないことを露骨に示した。中国は既成事実を積み上げ続けた。サンゴ礁を埋め立て人工島にし、滑走路とミサイルを設置した。軍事的には「既に手遅れ」な状況を作り出した上で、交渉に臨む——これが力による現状変更の教科書的な手順だ。
「経済は中国、安全保障は米国」のジレンマ
ASEAN10カ国が直面している根本的な矛盾を一言で表すと「最大の貿易相手は中国、最大の安全保障の支え手は米国」だ。
インドネシア、マレーシア、タイは、自国経済における中国の存在感を無視することができない。中国は工場の注文元であり、観光客の最大の送り出し国であり、インフラ投資家だ。「ノー」と言えばビジネスが止まる。
一方で、フィリピンやベトナムは、中国の海洋進出によって自国の漁業権と海洋資源を脅かされている。米国のプレゼンスと安全保障の傘がなければ、中国の圧力に抗えない。
この矛盾の中でASEAN諸国が採用してきた戦略が「ヘッジング(どちらにも賭けない)」だ。米中のどちらにも完全にコミットせず、どちらからも実利を引き出す。これを「したたかな中立」と呼ぶこともできるが、「先延ばし」と評することもできる。
問題は、米中の対立が深まるにつれて、この「どちらにもコミットしない」戦略を続けることが難しくなっていることだ。半導体サプライチェーンの「フレンドショアリング」、5Gインフラのベンダー選択、軍事基地へのアクセス——これらの問題が、ASEAN諸国に「踏み絵」を踏ませようとする圧力を高めている。
小国の知恵は時間を稼ぐことだが、大国の競争は時間をかけて選択を迫ってくる。